膳所焼は、武人であり茶人でもある小堀遠州の教えを受けた膳所藩主菅沼定芳(1621~1634年在任)が、現在の相模川河口に窯を開いたのが始まりと言われています。
菅沼定芳転封後の藩主石川忠総の時代にかけて、小堀遠州の支援を受けた膳所焼は将軍徳川家光への献茶に用いられるなど、茶器として天下にその名が知られることになりました。しかし趣向の変化からか、やがて藩が庇護していた膳所焼は18世紀前半になると衰退していきます。
ここから膳所焼は庶民によって新しい膳所焼として受け継がれました。天明年間(1781~1789年)若宮八幡神社近くの小田原屋伊兵衛が起こした窯で、唐三彩風の緑や黄色の鮮やかな色彩が特徴の梅林焼は何代かに渡り幕末まで受け継がれました。
また、文政年間(1818~1830年)に篠津神社前の井上幾右衛門が、開窯した雀が谷焼は茶臼山の東南雀ケ谷の良質の陶土を用い、主に土瓶などの生活用品を焼いていました。
今日広く世間に知られている膳所焼は、大正八年(1919)岩崎健三が全財産を投げ打ち、日本画家山元春挙や京焼の名工二代伊東陶山の協力を得ながら復興したもので、その子岩崎新定によって、継承され発展してきました。
膳所焼の歴史からは、地域の伝統文化がどのようにして、誰の手で伝えられてきたのか、多くの事を学ぶことが出来ます。当館には、古膳所焼を始め滋賀県内の焼物や復興膳所焼、茶道具の棗や軸などを展示しておりますので、お茶席の庭を見ながらいただくお抹茶とともにごゆっくりお楽しみください。
膳所焼美術館館長 寺田智次